なるほどこれが「加速度的」か、と小さくなった白菜を見て思う

大きな白菜だった。縦が50センチ、胴の部分の直径が30センチくらいだったか。先日、一回目の塩漬けを作った白菜だ。そのときは使ったあとも、あまり小さくなったようには見えなかった。この分だと年を越して一月の半ばまでもつかな、といった感じだった。今日二回目を作った。同じレジ袋を再度使った。前回と同様に袋が一杯になる量の白菜をむしった。前回もそうだが、外側から葉をむしって使っていっている。今回むしり終わったあとの白菜を見ると、ずいぶん小さくなっている。前回と同じ量を使ったと思うが、使った後の白菜は、ずいぶん小さくなった。なるほどこの小さくなり方が「加速度的」ということなのだろう、と思った。

「言葉・青菜に塩」の誕生について考えた

白菜の塩漬けを作った。中くらいの大きさのレジ袋に葉っぱーー十枚ほどだったかーーを切って入れて、ほぼ一杯になりましたが、そこに塩を入れ、酢も少々加えて、レジ袋の取っ手の部分を使ってぎりぎりと縛り、水が出て来るから、その袋をタッパーに入れて冷蔵庫にしまった。キャベツで、この方法を教えて貰って、キャベツでは何回か作っている。漬かれば量が減るとは思っていたが、白菜の減り方はキャベツより大幅だった。大幅に減った。「青菜に塩」という言葉が頭に浮かんだ。そこで考えたが、もし「青菜に塩」が「漬物を作る過程」で思いつかれた言葉だとすると、思いついた人は漬物を漬ける人、あるいはそういう作業を見たことのある人、ということになる。範囲は限定されてくる。「青菜に塩」と聞いてピンと来る人が少ないとなると、一般化しないのではないだろうか。料理や台所から生まれた言葉が広く広まった、というのは痛快ではあるけれど。

ネットで探したが、「青菜に塩」がどういうところから生まれたのか、は見つからなかった。わたしの解釈はーーオリジナルとは断言できないが--次のとおり。

昔のある時代には、青菜が良く食卓にのぼる食べ物だった。食卓には青菜がそのままでてきて、食べるときに塩を振りかけて食べる食べ方が一般的だったーー塩をこんなに贅沢に使うはずはないな、とこれを書きながら思うけれど、乗りかかった船、ということで続けますーーので、青菜が塩を振られたとたんにみるみる萎んでいく姿は、食卓で日常的に見られる光景だった。とうことで「青菜に塩」と聞くと、あーそうそう、分る分る、ということで広まったのではないだろうか。

泉大津

しばらく前からNHKの朝のドラマの舞台が泉大津に移ったが、移る少し前の時期に乗ったフェリーの着いた先が「泉大津港」だった。朝のドラマの舞台を訪ねた、ということではなく、神戸よりは関西空港に近いということで、同じ新門司港発の泉大津着の航路を選んだ。港へ着いてからすぐには下船せずに一時間くらい船内に留まったーーこの間に食事や入浴ができるーー客の、相乗りのタクシーで南海電鉄の「泉大津駅」に直行した。それだけの縁だったが。

午後の飛行機の時間までの訪問先として、「道頓堀」と「みさき公園」を旅の前に考えたが、大阪まで行って遊園地ということもないだろう、小学二年生でも「道頓堀」を歩けば楽しいこともあるだろう、ということで道頓堀でどうかと訊いたら、親経由の返事だが、たこ焼きが食べたいので道頓堀で良い、という返事があり、泉大津からは道頓堀へ向かう計画だったが、駅の中のポスターのきりんの「仙夏ちゃん」を見て、きりんが生まれたみたいだけどどうする、と訊ねて、どっちでも好きな方でいいよ、と言ったらしばらく考えてから、「みさき公園」を選んだので、泉大津からみさき公園に向かった。今思うと、あの選択は本心だったのか、わたしの、みさき公園も良さそうだね、という内心を忖度してくれたのか。開園時間より40分くらい早く着いてしまい、そこで大きく機嫌をそこねて(写真1)、入園して「仙夏ちゃん」を見てもそれほどの感激もなく、いくつかの遊具と、決め手の売店での品物選びで、いつものひ孫一に戻った。それから「迷路」楽しんでいた。

〇全身で怒っています。この後は、地面に寝そべりました。確かにちょっと早く着きすぎました。

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〇わたしはそれ程もなかったけれど、ひ孫一が楽しんでいた迷路

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ふたご座流星群

あれが「ふたご座流星群」ならば、「流星群」と名の付くものは初めて見た。尾は引いていなかった。丸い球が、見える範囲では五から六個、ゆっくりと同じ速度で同じ方向に動いていた。月と反対の方角で東の方だった。空を見ながら、散歩でとおる小学校の校庭までところで、ちょうど見えた。「見えた、見えた」という声も聞こえてこなかった。誰もいないようだった。繰り返しになるが、「流星群」と名の付くものは初めてみた。見たい、という気持ちは強くはなかったけれど、寒い中を家を出たのは流星群の名前が「ふたご座」だったことを、何かの縁、と思ったためだと思う。

というわけで、来年はイノシシの肉を食べようと思う。

気温

「12月」が逆立ちして「21度」という気温がでたのが4日だった。それは別としても、まだ暖房を使っていない。やはり今年は暖かい。もうひとつ、11月半ばから家の中での居場所を一階から二階にした。太陽が出た日は二階は暖まる。それでストーブなしで居られる。ひざ掛けをかけたりはするが。とはいっても、室内にテントを張ろうと真剣に考えた部屋で、冷えるときは冷えるから、いつまでストーブなしで居られるか。12月いっぱい頑張ろうかと思うが。

明日は休館日

今日は月曜日だから休館日。五日が返却期限の借りた本があるし、リクエストした本もきているから、明日は図書館に行こうと思う、ということで明日行くと、図書館は休みだ。第一火曜日だから。祭日等なら別だが。ももを隣の公園の土手の灌木につないで、図書館の扉の前まで行って、おっとそうだった、と気がつく。でも本の返却はできる。

扉の脇の、高さでは大人の胸の高さくらいの位置に、本の入る大きさの穴が開いていてそこから本を投入できる。独立した本の投入箱(「返却ポスト」)ではない。館内に直接投入される。ということは、穴から入れられた本は下の床に落ちるのかな、本が傷むのではないかな、とみなさん思うと思う。わたしも初めてのときはそう思った。それで屈んで穴から覗いてみた。そうすると何と……

中はどうなっていたでしょう?あなたの想像はコメント欄にお願いします。