『小説の精神』ミラン・クンデラ

今朝は冷えました。6時でマイナス5.6度。房総半島全体を見ると、<中央ラインの三地点>(私が勝手に付けた呼び名)が低い。北から、佐倉マイナス5.6度、牛久マイナス7.1度、坂畑マイナス6.2度、これがベストスリー。殆ど同じ緯度上。牛久は高い気温でもちょくちょく登場する。厳しいところのようだ。

以下引用。

近代の黎明期以降、小説は人間のつねにかわらぬ忠実な伴侶です。このとき<認識の情熱>(これこそフッサールがヨーロッパ精神の本質と考えているものです)が人間を捉えますが、それは人間が人間の具体的な生活を探求し、<存在忘却>からこの具体的な生活を守るためであり、<生の世界>に絶えず照明をあてておくためなのです。小説だけが発見できるものを発見すること、これだけが小説の存在理由だ、ヘルマン・ブロッホは繰り返しのべていますが、彼のこの執拗な態度を私が理解し、かつこの態度を私が彼と共にしているのは、以上のような意味合いにおいてです。いままで未知のものであった実存の一部すら発見することのない小説は、不道徳なものです。認識こそ、小説の唯一のモラルなのです。