究極の選択

「究極の選択」というのが流行ったことがあるような気がします。選択に頭を悩ますという(私の考える)本来の「究極の選択」よりも「どちらも選びたくない選択肢二つから選ばせる」というタイプで選択肢の面白さ奇抜さで受けを狙うといったものが多かったように思う。
正統的な究極の選択を二つ挙げる。特に(2)はいろんな人にどちらを選ぶか尋ねてみたい。

(1)袖口にゴムが入っている外套がある。ゴムの径は手首の太さくらいで、手首が入っていない状態では閉じきらない。寒い朝これを着て散歩をしていた。手首のところで閉じられいるので外套の中は暖かいが、生憎手袋を忘れて手が冷たい。手を袖の中に引っ込めた。袖口に隙間ができて冷たい外気が入ってきて外套の中も冷えてきた。選ばなければならない。手首から先に寒さを忍ばせて外套の中の暖かさを維持するか、手首から先も含めて一蓮托生で少し冷えても我慢するか。

(2)AとBから選ぶとしたら、あなたはどちら。
「愛される」とは「かなり強く好かれる」といったこと。
「愛せない、愛されない」は「嫌う、嫌われる」ではなく「普通の感情」で接するといったこと。

A.大勢の人から愛されるが、自分は誰も愛せない。
B.誰にも愛されないが、誰かを愛することはできる。

(補足)
Aの人も「愛されて嬉しい」という感情はあります。Bの人には「愛されたい」という気持ちはあります。