好い日

孫一とひ孫一との三人で墓参りに行って、その後「風草」に廻ったところ、食事中の三人の美女に出あい、同席させて貰い昼食を食べて来た。食べ物をまき散らしたりスプーンを投げたりするひ孫一が、余所の人と一緒というのを判ってか、比較的静かに食べていて、帰りに孫一も驚いたと話していた。四月から社会の荒波に乗出す孫一に、御三人から何か助言を貰えばよかったと後から思った。物忘れの一種だろうと思うが、その場で言えなかったりできなかったことを、後で思いつくことが多くなっている。受賞のお祝いを言い忘れた。綿あめをごちそうになったが、ごちそう様と言い忘れた。失礼しました。
綿あめでは面白いことがあった。ちぎってコーヒーの上に、カプチーノ的になるかなと落としたら、浮かずにすぐに沈んでしまった。「浮かずにすぐに沈む」と書くとどうということはないが、その沈み方の速さが速い。《目にも止まらない》。落ちてくる綿あめの破片を、コーヒーの液面が、受け止めるのではなく飲み込んでいる。パクッと飲み込む感じです。すぐに試せます。綿あめはひな祭りのお菓子のコーナーにあるようです。
買ってきた猫の置物は、正しい選択だったような気がする。ピンクの体が、運を呼ぶ雰囲気を強烈に発散させている。今こっちを見ていますが、まずは宝くじからいく?馬券からいく?何でも来いだね。自信有り気に笑っています。
墓前に供えたお菓子などは、お寺さんに引き上げて貰い活用していただくのだが、缶類はそのままなので、新しいクリアアサヒを供えて、そのクリアアサヒを持ち帰った。《墓冷えのクリアアサヒを夕に飲む》