ふたり旅ーーここは待たせる側の誠意の見せ所

ふたり旅の間に、わたしがトイレ(個室の方)に行く回数が多くて、ひ孫一には迷惑をかけた。待っててね、と言ってはくるが、時間が経過すると、まだ小さいから、じいじまだー、じいじいるのー、と訊いてくる。個室のすぐ外ではなく男子トイレの外からだけれど、ひ孫一は良く透る声をしているので−−授業参観のときに、大きな声でないのに教室の後ろの方まで明瞭に聞こえたのに感心した−−通常の大きさの男子トイレだったら、中まで聞こえてくる。困ったな、と最初のときにはちょっとだけ迷ったけれど、待たせる側としてはここで黙っているわけにはいかない、とすぐに決心がついた。凛ちゃんちょっと待っててねもうすぐだからね、と外まで聞こえるような声で−−とはいっても大音声とまではいかず、わたしの声らしきものが届けば良いかな、といった声量で−−返事をした。
関西空港の搭乗口のすぐ前の待合室にいるときも、わたしがトイレに行っている間に、放送があって、空港に着いてまず機械から発行された搭乗券を受け取ったときに、おっ、今度はAB(来るときはCD)だから外が見られるよ、と話していたので分ったのだと思うけれど、それにしても今思うと良く分かったな、という気もするが、AとFの座席のお客様とそのお連れのお客様は機内にご案内します、という放送を聞いてトイレの外まで来て−−そのときは少し離れた椅子のところで待たせていた−−じいじAとFのお客様が何とかと言ってるよ、飛行機行っちゃうよ、と良く透る声で呼んでくれた。それにしても、あの放送で呼びに来たのは、今度の旅でだいぶ成長したのかもしれない、と改めて思う。それは、前日のフェリーの中でひとりで風呂に入れたこととも符合する。風呂のことはまた改めてにしますが、「三列通路三列」という席の乗り物ではCDというのは隣りは隣りでも通路を挟んだ隣り、になる。何か人間関係のひとつの型として「CDの間柄」というようなものがありそうな気がした。