林芙美子紀行集「下駄で歩いた巴里」

この本、二月に亡くなってしまった1947年生まれの立松和平編でした。

「均一店」というものがあった事が書いてありました。

昭和6年(1931年)11月23日にシベリア鉄道経由でパリに着いた。林芙美子は1903年生まれだから28歳。

私の下宿からちょっと電車道に出ますと、ユニプリイと云うマザガンがあります。このマザガンは、十フラン以上のものはない均一店ですが大変繁盛しています。

昭和7年(1932年)1月ロンドンに行く。

ここで一番面白く見たものに、均一百貨店が沢山ある事でした。日本にもあるでしょうか? きっとまだ出来ていないと思います。一ツの街々にはかならず一軒はその百貨店があるのですけれど、プロレタリヤ階級にとってはなかなか便利です。この百貨店に入ると、六ペンス(約二十四銭)以上のものは絶対に無いのです。

というような記述が有りました。

昭和7年の日本の物価では牛乳一本が7銭とのこと。

「六ペンス硬貨」があったようです。

小説に「月と六ペンス」、映画「心を繋ぐ六ペンス」などもあり、「六ペンス」には象徴的な意味もあるのでしょう。

また「結婚式で新婦の左の靴に入れておくと裕福な家庭に恵まれる」というおまじないにも使われたそうです。