『フィッツジェラルドの午前三時』ロジェ・グルニエ

フィッツジェラルドは1931年の「パリ植民地博覧会」を見たことを、エッセー「Fご夫婦をX号室へご案内」の中に書いているそうだ。1919年生まれのグルニエもこの博覧会を見たそうで

というわけで、ドーメルニの池のまわりで催されたこの有名な植民地博覧会は、わたしがフィッツジェラルド夫妻と擦れちがったかもしれない唯一の場所ということになる。

と書いている。

林芙美子シベリア鉄道経由で1931年11月23日にパリに入っている。博覧会は1931年5月23日から六カ月間だったようだ。フィッツジェラルド林芙美子がパリのどこかで擦れ違った可能性はあまり無さそうだ。