むしゃぶりつ(貪付)いた話

むしゃぶりつく(「むさぶりつく(貪付)」の変化)激しい勢いでとりつく。しゃにむにかじりつく。「武者振付」と書くのは当て字。*浄・長町女腹切‐中「べりべりしゃべるほうげたけはないてしまはんと、むしゃぶり付」

「むしゃぶりつく」は必死さを感じさせる言葉だ。≪私は先日久々にむしゃぶりついた≫と書き始めて、読む人に「いったい何があったんだろう」と思わせるのは、気をもたせるだけで、謎の提示ではない。≪私は先日モモにむしゃぶりついた≫と書いて、読む人に「いったい何があって、犬にむしゃぶりついたのだろう」と思わせるのは謎の提示であり、謎の提示こそプロットであり、ストーリーとの違いであると『小説の諸相』でフォースターは書いていたが、その謎を「モモは犬のモモではなく桃でした」と解決したら、彼は何とコメントするだろうか。
四個二百円のお勉め品の桃を一日二日置いたら、真っ赤に熟れた箇所があちこちにでき、あわせてみれば全体の八割くらいになっていた。熟れたと書いたが、腐ったと書いたほうが良いのかもしれない。慌てて流しで洗って、ここまでくれば皮もずるっと剥けるはずと剥いてみたら、指が肉までずぶずぶと入ってしまい、こうなったらと、流しの上を幸いに、顔を突き出して齧った。口が肉にずぶずぶと入って鼻の先も入った。口の周りから汁と皮と肉が滴り落ちた。甘かった。本当に甘かった。種以外は全部食べ尽くした。
後からこのことを思い出して、あれが≪むしゃぶりつく≫ということだったんだなあと思った。鼻の方は、桃にむしゃぶりつかれたようなものだとも思う。
味をしめて、もう一回お勉め品の桃を買って、合計八個の桃を半ば腐らせてむしゃぶりついてみたが、最初の一個目の甘さの甘さは格別だったような気がする。
この後さらに、人と人との間のむしゃぶりつきについてもいろいろ考えてみた。