諺の信頼度

今となってはいつのことだったか、日中の気温が二十度を少しだけ超えるという日が数日続いたときがあったのを覚えていますか。このとき犬の散歩をしながら、このくらいの気温だと楽だなと思ったのですが、残念ながらそれらの日はずっと小雨でしたが降ったり止んだりしていました。やはり「天は二物を与えず」は本当だと思いました。そしてその時、雨合羽が必要だったなと思いましたが、これは絶対に犬の雨合羽を用意した方が良いなと、そのときは切実に思った梅雨が過ぎ、用意してありませんでした。やはり「喉元過ぎれば熱さを忘れる」は本当だと思いました。ほぼ同時に二つの諺について成る程と思ったので記憶に残りました。
私としては信頼性がないと思っている諺は「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」です。どんな体験から信頼性がないと判断しているかというと次のような体験です。私は、百円ショップで買った名刺大のカードに名前と携帯電話の番号・メールアドレスを手書きした名刺を作って持っています。そして、これはという人にはどんどん渡しています。「何かあったらご連絡ください」というわけです。いきつけの焼き鳥屋さんに百枚預けてこれはという人に渡して下さいとお願いしてあり、私自身が百枚は渡していますから、二百枚近くは渡しているのですが、連絡は皆無です。この諺の《数打ちゃ》の《数》は相当大きい数字と考えた方が良いようです。それでもだめだと思いますが、もしこの諺が信頼性を勝ち得るとしたら、《鉄砲》を《機関銃》に置き換えて何とかというところでしょう。
「便りのないのは良い知らせ」。これはどうでしょう。ラブレターを出したが返事がない。これが良い知らせでしょうか。