蔓の生命力

ゴーヤの蔓がネットの紐に絡みつくところでは、二センチほどの中に五から六巻くらい巻き付いているところもある。ゴム動力の模型飛行機のゴムを巻いていくとコブが出来てくる、ああいった感じの巻き付き方だ。《締め上げる》ような感じだ。人間の指にも手にも、首にも巻き付くのではないかと思う。巻き付いたら締めるのだろうか。
ペギー葉山の歌で《蔦のからまるチャペルで祈りを捧げた日夢多きあの頃の》という歌があるが、蔦のからまるのはそんなにロマンチックな光景ではないのではないかと、ゴーヤの蔓を見て思ったのだが、ここまで書いて調べたら、蔦の蔓は吸盤で他のものに吸い付いて這っていくそうだ。吸盤だから壁を這って伸びていけるのか。吸盤の張り付く様が、獰猛さを感じさせるかどうかわからないが、いずれにしても作詞者も学生もチャペルの壁に目を寄せて見たわけではなく、遠目に見たその雰囲気を味わったのだろうから、その点ではゴーヤでも良かったかもしれないが、実がなってくると、あれがチャペルの壁にブランブランしたら、神様もお許しにならないかもしれないと思った。そう考えると巻き付き方は獰猛だがゴーヤに愛おしさも感じた。