「紙芝居」の上演

イベントの会場で知り合いが紙芝居をした。
主催者が舞台と観客席を用意してくれていて、司会者もいて有りがたかった。とは言っても、劇場ではないから会場の全員が紙芝居を見に来ているわけではない。皆さん静かに見て下さい、というわけはにもいかない。屋台も出ているから、来場者が紙芝居に集中してしまって飲んだり食べたりを止めてしまったら、それも困る。
こういう場での上演だったが、しっかり観客を惹きつけたと思う。「水を打ったような静けさ」ではなかったが「喧騒の中、声がかき消されがち」などということはなく、どちらかというと「水を打ったけれど、折からのかんかん照りで、打った水が少し乾いた」という感じだった。
私は最前列の椅子に座ったひ孫一の後ろにしゃがんでいたので、後方は耳で聞くだけだったが、はるか後ろの方からは話し声もきこえたが、近い後ろ、横、前の観客は、熱心に観て聞いていた。演者の声は明瞭で聞き易かった。ひ孫一は途中で席を立った。仕方がないな、と呼びに行くこともしなかったがすぐに戻って来た。三才には少し難しかったかな。
来る人がいるだろうか、という心配のあるイベントを開いた主催者と、観る人がいるだろうか、という心配のある紙芝居をしに来た演者(どちらも女性)に感じるのは「進取の精神」だ。
紙芝居の演者の入っている和太鼓グループの方たち、大人二人、子供三人が一緒に来ていて、紙芝居の後で和太鼓を披露してくれた。すぐ目の前で観て聞く太鼓の迫力は強力だった。紙芝居では固さが見られた演者も、太鼓では伸び伸びと叩いていた。心配していた紙芝居も終わって心置きなく叩いていたのかもしれない。
太鼓の響きで頭の皿が外れたかっぱと噛みついていたものを離してしまった噛みつき亀が何匹かいたらしい。