円筒分水工

4月の二十日頃、NHK盛岡放送局のニュースの動画で「円筒分水工の放水式」を見た。それで「円筒分水工」というものを初めて知った。調べてみると”初めて知った”というのが本当かどうか怪しくなった。「西天竜幹線水路円筒分水群(天竜川水系、長野県上伊那郡箕輪町南箕輪村伊那市)1939年(昭和14年)完成」というものがある。これは、小学4年生から6年生まで住んだ辰野町のすぐ近くで、社会科の授業で見学に行っても良さそうな気がする。教科書にも記述されていたのではないだろうか。”忘れていた”から”初めて知った”と思っただけかもしれない。
冒頭のニュースから「円筒分水工」を調べたのは、放送の中でその円筒分水工は「二十年ほど前に作られた」と言ったからだ。円筒分水工が新たに作られたということは、それを作って解決しなければならないような深刻な水争いがあったということで、それが二十年前まで続いていたのか、ということに驚いた。”つい”二十年前です。平成です。しかしそれは違った。ニュースの表現が不正確だった。その円筒分水工は「昭和32年に作られ、平成7年に改修されひとまわり大きくなった」ものだった。「円筒分水工」の意味を考えれば、このニュースに「昭和32年に作られ」は欠かせない。もうひとつこのニュースで首を傾げたのは「ニ十年ほど」の「ほど」だ。わたしは「ほど」を「特定できない」という意味だと考えたのだがそれが誤解だろうか。石器時代のことではあるまいし、調べれば正確に分る平成7年だ。