十字を切る

シャワーの後で十字を切る。わたしの場合は次のような動きになる。まず、左手に持った容器に右手の人差し指と中指を付けた後、その二本の指で額、鼻の先端、顎に、この順番で触れる。もう一度右手の人差し指と中指を左手に持った容器に付ける。その二本の指で左頬、右頬に、この順番で触れた後、容器を持ったままの左手の甲に触れる。左手の甲の上に右手の甲を重ねて擦りあわせる。左手に持った容器を置いて、両手で顔を万遍なく擦り、さらに両手も甲と手のひらを捏ねるように擦り合わせる。
こんな風にしてシャワーの後でクリームを塗ります。
昨年の暮れにクリーム(ニベア)を買った。それまで使っていたものは−−冬場しか塗らないので、まだだいぶ残っていたが−−塗ったあとぴりぴりするような気がして、そういえば五年くらいになるのでは、と思い、そう思ったら、古くなったというだけで使うのを止めるということは、あらゆるものにおいて絶対にしないわたしなのだが、シャワーでさっぱりしたところに塗るということを考えたとき、その行動基準の例外としても良いかな、と例外を認め新しいクリームを買ったのですが、今は塗るのが楽しみです。
風呂上りといえば、母は「乳液」というものを塗っていた。両方の手のひらに液をたらして、それで頬や額や顎の辺りと、顔の何か所かを叩いてから両手で顔を擦った。乳液はクリームより水っぽく瓶状の容器に入っているので、容器から指先に取るよりも手の平に落とす方が容易で、手の平に落とした乳液を取り敢えず顔の皮膚に付けるには、ぽんぽんと叩きつける動きが適しているとは想像できる。叩きつけた後、両手でごしごしと顔に乳液を伸ばすときには、恍惚の表情だったと思うのは、クリームを顔の各部に付けた後、それを顔中に伸ばすときの、わたしの感じる気持ち良さから想像できる。その気持ち良さは、クリームあるいは乳液を塗る心地よさではなく、神経を使って準備したことを、さあ実行−−実行の動作はあまり面倒ではなく神経も使わない−−というときの気持ち良さだと思う。例えていえば、細心の注意を払って何か所かに仕掛けた花火を、ボタンひとつで打ち上げるときに感じるだろうような快感だと思う。