細る

暮も押し詰まった29日の散歩のときに見た、葬儀社の前の立て看板の名前に憶えがあった。五、六年以上前に、同じ会−−わたしは今も入っている−−に居た人の名前だった。年齢はそういうことになってもおかしくはない年齢だろうとは思う。「ゆうぞう」という名前は間違いない。ただ「ぞう」の方は、看板は「造」だが、「三」だったような気もする。名前を確認しようと、帰って郵便物を調べてみた。調べて驚いたが、わたしにも昔はたくさん郵便が来ていた。こちらから出して先方から来る、ということだったから、それだけわたしも手紙やはがきを書いたのだと思うが。思いつくままに書きなぐって出せば返事をくれた姉と、それよりはもう少し改まった感じで書いたが、それでも気の向くままに書いて、やはり返事を貰うことが出来た義父と、この二人があの世に行ってしまたのが痛い。それで「細る」という言葉が浮かんだ。商いが細る、ならぬ「付きあいが細る」だ。
その方からは2009年に年賀状を頂いていて確認できた。その方の名前は「えいぞう」でした。失礼しました。