藤村操の華厳の滝までの道筋

本が届いた。『検証 藤村操 華厳の滝投身自殺事件』平岩昭三著 不二出版
知りたいことは、最初の方に書いてあった。
1903年(明治36年)の出来事です

五月二十一日の朝、学校へ行くと告げて家を出た操は、午前九時上野駅発の列車に乗り午後三時頃日光に着き(筆者注・当時の時刻表によれば上野九時発列車の日光到着時刻は午後一時五十分であるが)、小西旅館に投宿した。彼が泊ったのは街道沿いにあった小西旅館本館ではなく、道を隔てた山沿いの斜面に建てられていた別館の方であった。(中略)
操はこの宿で閑静な部屋をとり、その日は外出せず部屋にこもって家族や友人に宛てた幾通もの書状をしたためている。翌二十二日、操は午前五時頃旅館に命じてビールを少し飲み鶏卵を食べ、服装を整えた後余分の金銭を下女に分け与えて、登山の案内人も雇わず一人で宿を出た。道すがら前日したためた書状をポストに投函し、当時人力車の起点であった神橋先から俥に乗り、途中名物の羊羹を五本買ったが、馬返しで下車した際これをすべて車夫に与えて立ち去った。それから先に操の消息は一切不明であるという。

グーグルマップで調べてみました。
神橋から馬返し公衆トイレまで
8Km、徒歩1時間52分とでます。高低差は約300メートル。斜辺8000高さ300で計算すると角度は2度少し、勾配3.75%くらいです。ここは人力車に乗ったとのこと。
馬返し公衆トイレから華厳の滝上展望台
6キロ、徒歩2時間とでます。高低差は480メートルです。ルートは第一いろは坂ですが、こちらの方が第二より先にあったので、明治時代の道も第一いろは坂に近い道だったのでしょう。角度ですが、くねくねと折り返していますから、斜辺6000高さ480で計算して角度や勾配を計算するするわけにいきません。調べてみると最大勾配14%とあります。水平方向に100メートル進む間に14メートル高さが増す、という傾斜です。かなりきついということは、下記に引用したJRAのホームページにある中山競馬場のコース紹介からわかります。

そしてゴール前では、中山名物の急坂が馬たちを待ち構えている。残り180m〜残り70m地点にかけて設けられている上り坂の高低差は2.2m、最大勾配は2.24%と日本一のキツさを誇る。快調に飛ばしてきた馬の脚色が急坂で鈍り、ゴール前の逆転劇に繋がるケースもしばしば見受けられ、馬たちにとっては文字通り最後に待ち受ける“難所”となっている。

第二いろは坂のデータですが「平均斜度上り9.1%」とある。第一いろは坂も同じかもっと急だろう。「馬返し公衆トイレから華厳の滝上展望台」で調べたグーグルマップの結果の「二時間」というのは、もう少しかかると思う。おそらく藤村操も華厳の滝に着いたときには、くたくただったのではないかと思う。とは言っても帰ることは考えなくても良かったから−−宿で手紙を書いているのだから翌日決行の決意だったのだろう。滝を見て死ぬ気に、というわたしの推測ははずれていた−−ゆっくり時間をかけて休んで体力は回復したことだろう。登ってきたことによる肉体の疲労で予定していた行動が遂行できなかった、ということにはならなかったのは、結果を見れば分るのだが。