『犬を連れた奥さん』チェーホフ

中央公論社 世界の文学27の池田健太郎の解説より

『犬を連れた奥さん』は、トルストイによって「ニーチェとそっくりだ。善悪を区別する明確な世界観を身につけていない連中。つまり動物とほとんど同じだ」と酷評された小説であるが、この作品の意味は、完璧な構成、完璧な描写の他に、終末の数行にある。ひそかな不義の愛に苦しむグーロフとアンナは、小説の最後でどうすれば現在に偽りの、逢瀬を忍ぶ境遇から抜け出すことができるのだろうと反問するが、「すると、もう少しの辛抱で解決の途がみつかる、その時こそ新しい、素晴らしい生活が始まる、とそんな気がする」のである。


本文より

アンナ・セルゲーヴナと彼とは、とても近しい者同士のように、親身の者のように、夫婦同士のように、濃やかな親友同士のように、互いに愛し合っていた。彼らには運命が手ずから二人をお互いの予定していたもののように思えて、それを何だって彼に定まった妻があり、彼女に定まった良人があるのやら、一向に腑に落ちないのだった。それはまるで一番の渡り鳥が、捕えられて別々の籠に養われているようなものだった。

逆から見れば「何を勝手なことを言っているのだ、とんでもない。結婚したんでしょ」という事になる。
それはそのとおりだ。
ただ、「借りたお金は返すべきだ」と「愛し合って結婚した以上、一生愛し続けるべきだ」には、違いがあるように思う。