『ニッポンの書評』豊粼由美

本筋に関係ない部分かもしれないが、下記の部分について、二つの点で変だと思った。

わたしはよく小説を大八車にたとえます。小説を乗せた大八車の両輪を担うのが作家と批評家で、前で車を引っ張るのが編集者(出版社)。そして、書評家はそれを後ろから押す役目を担っていると思っているのです。

変だと思う点その1
まず《小説=大八車》とたとえ、次では、小説は大八車の上に乗っていると書いている。車と上に乗っている荷物は、物理的にも、概念的にも別物だと思うが。
変だと思う点その2
《小説を》と書いているが、書評家が後ろから押す役目を担うとなると、《書かれた小説が、たくさん読まれるための活動》を意味しているように思う。そうであれば、作家は関係ないのでは。サイン会等もあるが、それは本来の役割ではなく車の両輪の一つには該当しないだろう。《小説を書いて、出来上がったものを本にして、たくさん読まれるための活動をする》という過程であれば登場するだろうが、それでは、一つの喩えで表現するには長すぎる工程のような気もする。


「大八車(小説)を押すことが書評家の役目」と、章のタイトル(しかも最初の)に使っているくらいだから著者が気に入っている喩えだと推測するが、そうであればもう少し研いた方が良いと思った。「書評家は後押しするのが役目である」ということを言いたいのが眼目かと思うので、そこに注目した喩えを考えたらどうでしょうか。そこには作家も批評家も登場しないでしょう。逆に読者が登場するのではないでしょうか。
私も考えてみます。

追伸

「豊粼」が正しいと本文中にあったのを思い出して訂正しました。