「1月31日消印有効」と「月」

「1月31日消印有効」の文学賞に応募しました。郵便の受付時間は最寄りの郵便局が17時まで、佐倉郵便局が20時までで、今回船橋郵便局が24時まで(0時から24時なのでそのまま開きっぱなしのようですが)ということを知って、最後は船橋まで行こうと思い、それでも何とか佐倉に間に合わせたいと思っていましたが、16時30分頃に最寄りの郵便局の窓口に出せました。
念のため今日の消印になりますよねと確認したら、大丈夫、今これを貼りますからと、白地に赤い波線のある紙、証紙というんでしょうか、あれを手に持って、そう言いました。ということは、あの紙には郵便物に貼る前から消印があるのだ、そう閃いて、自分で貼りますと、その人の手から証紙を奪い窓口に証紙代200円を置いて逃げ出しました。その証紙をネットオークションに出品したのですが、200円の証紙が現在200万円の値が付いています。
証紙についての件は後から思い付いた《お話》ですが、とにかく無事に応募をすませモモの散歩に出ました。

昨日の月は上弦の月で南中が17時過ぎと知っていましたから、空には在るはずだからと空を見ました。高い位置のはずと首に無理をさせて見上げましたがありません。もう少し暗くならないと無理かと思いました。散歩の途中の橋の上に来ました。橋の上から、そこで水面を見た理由が思い当たらないのですが、増水していたとか何か流れて来たとか白鷺が居たとか、何もないのですが、橋の上から真下の水面を見たところ(真下を見る理由もさらに思い当たらない)白っぽいものがあります。孫一との会話があったと想定するとここは「月じゃね?」という言葉がぴったりですが、そこで空を見るとまさしく月がそこに《居る》という感じでありました。
ここが肝心(私にとっては)なのですが、そのときまで月のことを考えていなかったが、たまたま見た川の水面に月を見て空を見上げたら月があったということではなく、または、空の月はもう見つけていて、それが川の水面に映っているのを見つけたということでもなく、今回の場合は、月を空に探していたが見つけられなかったときに、水面に映っている月を見つけて、それで空を見上げて月を見つけたということに、非常に驚きました。何だ、やっぱり居たんじゃないか、なんだ上から笑ってみてたな、月(人)が悪いな、そんな感じです。初めての経験でした。
こんなたとえ話でどうでしょうか。姿を消した恋人を探して、一日街を探し歩いたが見つけられなかった。疲れて帰る夜の電車の中。座れない。疲れた。吊革に掴まって窓を眺めると、自分の後ろに立っている人の後ろ姿が映っている。髪型に見覚えがある。見覚えどころか間違いない。振り向いてみるとそこに居たのは間違いなく探し求めていた恋人だった。こんな感じでしょうか。

応募を済ませて高揚していたところへ、この月の悪戯が重なって、電話してしまいました。見てみると言っていましたが、首の骨を痛めたということが無い事を祈っています。本当に視線を真上に向けないと見えない位置でしたから。

長くなりましたが、もう一つ感心させられた話があるので、書かせてもらいます。
知り合いの男に、真上にあるものは人間の目には見つけにくいものだということで、この話しました。その男は、真上にある月を愛でることができるように、靴のつま先に鏡を貼っているというのです。世の中には風流な人が居るものだとつくづく感心させられた次第です。
お後がよろしいようで。