実像と虚像

何となく解っているつもりで使っていて、日常会話の中ではその解っているつもりの意味で通用しているのではないかと思うが、改めて調べてみると「実像」「虚像」は光学の用語で、中学の理科で登場するようです。調べましたが難しいです。ウイキペディアでは「実像」も「虚像」も書きかけです。私が改めてそうかと思ったのは《「実像」も「像」である》ということです。何となく「実像」は「像」ではなく、とここまで書いて次の言葉がこれで良いのか気にはなりますが、「体」としておきます−−「体」であるという認識でいました。しかし、目に見えているものが「像」ならば、像でないものとしての「体」とは何か、ということも考えさせられましたが、それは後回しにして、まずは「実像」と「虚像」のことを続けます。

じつ‐ぞう【実像】
1 反射・屈折した光が、実際に交わって作る像。凸レンズや凹面鏡では焦点より外側に物体を置いたときに生じる。⇔虚像
きょ‐ぞう【虚像】
1 物体から出た光線が鏡・レンズなどによって発散させられるとき、その発散光線によって、実際に物体があるように結ばれる像。⇔実像。
大辞泉(JapanKnowledge)}

光が交わってできるのが「実」で発散してできるのが「虚」であるようです。これだけだと何故「実」と「虚」の文字を当てるのか釈然としませんが、別の説明で《虚像はそこに居る人の誰にでも見える。例えば映画のスクリーンの像は「実像」である。それに対して「虚像」はある人の目の位置でしか見えない。隣に立っている人には見えない。例えば虫眼鏡を覗いて見える像は、その覗いている目にしか見えないから「虚像」である》というような説明があり、これですと「実」と「虚」を当てる理由にもなりそうです。この説明は、ある人物の像において、周囲のみんなから同じように見えるのが「実像」で、一部の人間(恋する人間等)の目からだけしか見えない像は「虚像」である、こういう話にぴったり当てはまり面白いと思いました。
「実体」について考えたことは改めて書きます。