『この人を見よ』後藤明生

面白い。分厚い本だが、澱みなく読み終えた。「澱みなく」というのは、寝ないで一気に読むといった、ストーリーに引き込まれて読んでしまう読み方ではなく、寝る時間には本を閉じ、起きたら読み始めるという、政治家が使うので少し垢がついたような気もするのだが、それでもあえて使うことにするが、「粛々と」といった感じかなと思ったが、やはり少し違うようで、「淡々と」の方が良さそうだ。
淡々と読み終えることができた。話は、著者得意の用語の「あみだくじ式」に進んでいく。だから答えの出ていないことがらも残っている。考えたが答えが出ないではなく、話題が変わっていってしまったので答えがでていない。完結する前に亡くなってしまったようだ。
例えばこれの答えは知りたい。

B「一言でいえば、芥川、太宰のあの顔は、カメラマンに撮らせた顔だよ。然るに、今の作家の顔は、カメラマンに撮られた顔だな。その違いは絶対に超えられないよ」
私「カメラマンに撮らせた顔、ということになると、前にBさん自身が志賀直哉の顔についていわれたことと同じになりますけど、その点はどういうことになるのでしょうか?」
B「志賀直哉の顔とは、ぜんぜん違うな。芥川の顔も太宰の顔も、それから三島の顔も志賀直哉とはぜんぜん違う顔だよ」

この後は、芥川が木登りをする16ミリフィルムの話に移ってしまう。そしてしばらく後に

芥川、太宰、志賀の三人の顔を並べて、三人三様に違うというのであれば、別にどうということもありませんが、しかし、その三つの顔の中で、志賀だけが違うと断定されれば、誰だって興味を持つんじゃないでしょうか? ですから、その先をどうしてもききたいと思って、いまかいまかと待っていたわけです。ところが、そのあと話は芥川の木登りになっちゃった。

と、もう一度、この話になるが、それもまた「女郎屋でマワシを取られた恨みみたいだな」の発言からずれていく。あみだくじでいえば隣の線に飛んでしまう。
志賀直哉の顔がどう違うか、そこは聞きたかった。