『カフカと映画』 ペーター=アンドレ・アルト 瀬川裕司訳

『私のいない高校』が思い浮かびました。

1922年7月5日、カフカはマックス・ブロートに美学をめぐる告白をおこなった長文の手紙のなかで、よい文学作品を書けるための特別な条件とは、計画的に自分自身から遠ざかることだと書いた。彼は友人に向かって有無をいわさぬ調子で、「覚醒ではなく」、「自己忘却」が「作家であることの第一の前提」であると述べる。
(中略)
自己を空虚にすることは、想像力の活性化にとっての前提であり、それゆえに文学の作業をおこなうための条件である。カフカにとっては、それを実現できるのは、習慣化している自己の固定化を放棄し、自身が関わりを持つ義務を背負うことなく、外界の刺激に身をゆだねられる場合にしかない。
911年から1914年までの時期において、カフカは夕暮れの街を遊歩して受けた印象を日記に綿密に描写している。とりわけそのような遊歩は、カフカに散漫な日常の観察をおこなう機会を与えてくれるものだった。日常の観察が、叙述のモデル、導入場面もしくは連続する物語を生むための基礎を供給してくれることは珍しくない。カフカの映画館通いも、同じような動機によるものである。というのは、映画を観に行くことによって、想像力の働きを活発化させ、執筆を成功させるための前提である自己忘却が可能になるからだ。