『終わりの感覚』 ジュリアン・バーンズ

後ろ表紙の文句の出だし、大きな活字で印刷されてるのは

記憶がゆれる。「私」がゆらぐ。


主人公が金曜日から恋人の家(家族と暮らしている)に泊まりに行って日曜日に帰る場面。

さよならの挨拶をしに下りていくと、フォード氏は私のスーツケースを取り上げ、「スプーンの本数はちゃんと確認してあるな、おまえ」と夫人に言った。夫人はとりあわず、ただ私ににこりとした。二人の間に何か秘密でもあるかのような微笑みだった。ジャックは姿さえ見せなかった。ベロニカと父親が車の前座席に乗り込み、私はまた独りで後ろにすわった。ポーチによりかかる夫人の頭上で、高く這わせた藤の花に日の光が射していた。フォード氏が車のギアを入れて、砂利にタイヤをきしらせた。手を振る私に、夫人も振り返した。普通の人がやるような手を上げる振り方ではなく、腰の辺りで水平に揺り動かすように振った。夫人ともっと話をしたかった、と思った。

この手の動きには味があるような気がします。

追記
自分が書いた手紙が戻ってきたが、その内容をすっかり忘れていたのです。その手紙の引用の前にある記述。

私たちは自分の人生を頻繁に語る。語るたび、あそこを手直しし、ここを飾り、そこをこっそり端折る。人生が長引くにつれ、私が語る「人生」に難癖をつける人は周囲に減り、「人生」が実は人生でなく、単に人生についての私の物語にすぎないことが忘れられていく。それは他人にも語るが、主として自分自身に語る物語だ。

私も他人に語るとことはそうないと思う−−孫一には折に触れ面白かったことの話はしている。たぶん同じことを何回も話していると思う−−が、自分自身で思っている自分の人生はあるから「自分自身に語る物語」は持っている。

このあと、手紙の本文が紹介されるが、受け取った方はもちろん書いた方も忘れられない内容だと思います。