続、ダメージ加工

「ダメージ加工」についていろいろ考えた。自然に古びた物が格好良く見える。そんなら人工的に古びさせてしまえ。「ダメージ加工」は目的のためには手段を選ばない考え方だ。とんでもない。こう考えたが、これは却下。
同じように古びていても、自然なものと人工的なものでは自ずと違う。心がこもっているかが全然違う。だから心のこもらない「ダメージ加工」は格好良くもなんともない。これも却下。こういう「心・論」は好きではない。心はあげつらうものではないと思う。
結論は「ダメージ加工」は身に付ける側と見る側が一緒に参加する「遊び」だと思う。ダメージ加工物を身に着ける側は、見る側がダメージ加工物と認識している、と思っている。見る側は、身に着ける側が見る側にダメージ加工物と認識されていると分かっている、と思っている。こんなことだと思う。