『さびしい宝石』 パトリック・モディアノ 白井成雄訳

白井成雄の「訳者あとがき」より抜き書き

(前略)以下に、フロベールの有名な言葉に言及しながら、この作品を称賛している『ヌーベル・オプセルヴァトゥール』誌の書評の一節を掲げてみたい。

「モディアノは、ここ三十三年間にわたって卓越した筆を振るってきたが、この夢遊病的な小説においてほど、彼の芸術の神髄を見せられたことはない。この小説では、もはや、作家を現実と結びつけるものはなにもなく、孤児の作中人物を現実に結びつけるものもなにもない。(……)これと比べれば、『ドラ・ブリュデール』−−1941年に姿を消し、モディアノがその足跡を見つけようと努力したあのユダヤ少女−−も、自然主義作家の描く人物と思えてくる。〈ラ・プチット・ビジュー〉はと言えば、これは作者の幻想によってしか存在していない。この作品は漠としたイメージであり、文体の綾であり、文学そのものの化身である。モディアノはこの作品で、偶然に身を任せて散策し、答えのない問いを立て、時空を超える夢想を言葉の魔法でかきたててゆくのである。知られるごとく、フロベールは文体の力だけで屹立し、純粋な修辞の規則に応え、作家の人生に還元されず、そして結局はそれを超えるような、無から生じる作品を描こうと夢見ていた。〈ラ・プチット・ビジュー〉は、モディアノのボヴァリー夫人ボヴァリー夫人に傍点あり 引用者補足)である」。

絶賛と言っても過言ではあるまい。そしてこの奥に、「新しいモディアノ」と評された姿が垣間見られる。モディアノは本作品で、主人公の「わたし」を新たに若い女性として設定し、一編の作品を書ききった。これが本作品に成功をもたらした一因であろう。周知のごとくモディアノは、父親に棄てられ、母親からも「人間的情愛」が得られないという環境で育った。そして、この悩みは、自らの文学的なテーマの一つとなり、特に父親と息子との葛藤は今までの作品によく取り上げられてきた。だがそのことは、逆に、彼にとって一種の足かせにもなっていたのではないだろうか。彼はあるインタヴューで、若い男性を主人公として「わたし」で書くと、主人公が「なかば自分であり、なかばそうでない、というあいまいさが残った」と話している。本作品において、主人公を若い女性としたことにより、親に棄てられ愛されなかった子どもの姿が、モディアノ個人の想い出にとらわれることなく、より自由に、純化されたかたちで表現されえたのではなかろうか。