続、リーディング公演
読んでいたら分らなかったこともありました。「トロッコ」の一節です。
が、そのほかはどこを見ても、土工たちの姿は見えなかった。
「どこ」と「土工」に語呂合わせを聞いた。芥川も意識していなかったと思うが、案外意識していたかもしれない。
「杜子春」です。
何しろそのころの洛陽といえば、天下にならぶもののない、繁昌をきわめた都ですから、往来にはまだしっきりなく、人や車が通っていました。
この演者は江戸っ子なので「しっきり」と言ったのかと思ったのですが、小説に当たってみたら「ひっきり」ではなく、ちゃんと「しっきり」と書いてありました。失礼しました。
下記にこのことについて書いてところがありましたので、リンクさせてもらいます。
http://bbs4.sekkaku.net/bbs/?id=nihongo&mode=res&log=322
「蜜柑」について。窓は’下げて’開ける構造だったようですが、朗読の中で「上げて開ける」というような部分があり、読む過程で混乱したかと思いましたが、小説原本でも
重い硝子戸は中々思ふようにあがらないらしい。
とあった。これについても、すでに疑問を持った方はいて、回答もあった。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1385676763
同じく「蜜柑」です。
ふと何かに脅されたような心もちがして、思はずあたりを見まはすと、何時の間にか例の小娘が、向う側から席を私の隣へ移して、頻りに窓を開けようとしている。
ボックス席だと思っていて、少し変だなとは思いましたが、きっと進行方向を向く席の窓側に座りたいためだろう−−ボックス席だとして、主人公と小娘以外には乗っているとは思えないから、小娘も主人公の向かいの窓側には座れるはず−−と思って納得していたのですが、実はロングシートだったようで、小娘は、どうしても車両中央の通路を横切って席を移す必要があったのです。