リーディング公演

リーディング公演というものに行ってきました。下記の公演です。ホームページの記事は過去の公演の記事ですが、今回は再演で2015年6月26日から28日にありました。今回の演目は芥川龍之介の「蜘蛛の糸」「トロッコ」「蜜柑」「杜子春」、宮沢賢治の「月夜のでんしんばしら」でした。
http://www.types.jp/05-reading/index.shtml

演者−−作品によってひとりから四人−−がステージに並びます。両手で台本を持っています。台本といっても中を見たわけではありませんが台詞とト書きでできている台本ではありません。ほぼ小説そのものなのではないかと思います。帰りに作品の載っている文庫本を購入して、記憶の中の演じられた内容と比較してみましたが−−発せられた言葉を覚えているわけではないので粗筋の比較になりますが−−同じでした。
最初は目を開けてステージを見ながら聞いていましたが、体に動きがあるなら動きと体を見ることになるのですが、表情は動くとしても他は動きませんから、(動き+体−動き=体)となり、じっと’体’を見ていることになります。「動かなくても演技をしていた」「存在が演技だ」と言われると「すみません。分かりませんでした」と言うほかないのですが、私の場合は、動かない体を見ていると雑念が湧いてきてしまい聞くことに集中できませんでした。そこで目を閉じて聞きました。
耳で聞くということは、一語一語が順番に耳に流れ込んできます。漢字もひらがなもかたかなも区別なく入ってきます。読み直すこともできません。活字を読むよりは集中する必要がありました。読むよりも作品を深く感じ取れる面もありそうです。本を読むときに、一文字分の穴が開いた不透明な板を紙面に当て、それをずらしながら一文字一文字読んでいく、それに近いと思いました。
演者の皆さんの集中力はたいしたものだと思いました。練習で何十回読んでいても本番で読み間違えるかもしれないわけで、そういう精神的な重圧をはねのけて読みとおす精神力はたいしたものだと思いました。言葉への感情の込め方ですが、私の場合は文字を一文字一文字耳に流し込んでもらう、といった気持ちで聞きましたので、あくまで私のこの聞き方についていえば、感情の込め方はほどほどが良いと思いまして、今回の公演はほどほどでしたので、聞き易かったです。目を瞑って聞いているときにいきなり感情に溢れた言葉が耳に入ってくると、そこで流れが中断してしまう、簡単にいうとびっくりしてしまいます。夢が覚めるとでもいいましょうか。子供への読み聞かせでも感情を込めない方が良いという説もあるようです。続きは次の書き込みで。