風呂の水にまつわる記憶

いつも見ているブログのしばらく前の記事に「サイフォン現象」のことがでてきた。名前を知っていたかどうかは別として、子供の頃、家の手伝いの中でこの現象を使った。入れ過ぎてしまった風呂の水を抜くのに使った記憶がある。深い桶の風呂だったのだろう。底の栓を抜いて水を減らしてまた閉めるというのが難しかったのだろうと思う。仮にできたとしても底から抜いた水はそのまま流れて行ってしまうが、バケツにとれば庭の畑に撒ける。バケツで汲み出せば簡単だろうと思えるが、風呂の中の水をバケツに汲んで風呂の縁を越えて外に出す、という動作にはかなり力が必要で、子供の力では無理だったのだろう。サイフォン現象を利用して抜く方法は姉に教えて貰ったのだろう。いろいろ考えて、入れ過ぎてしまった水を抜くのにサイフォン現象を使ったという記憶は、確かなような気がする。
もうひとつ風呂にまつわる記憶で蘇ったものがある。「風呂の水を汲む」という言葉だ。今でも使っているかもしれない。「風呂の水を汲みだす」という意味ではなく「どこか別のところから水を汲んできて、風呂に入れる」という意味で、これも手伝いの一つだったような気がする。昔は風呂桶のところに水道の蛇口があるとは限らなかった。ただこの方法で水を入れる場合は、風呂に水を溜めすぎるということは考えられないわけで、サイフォン現象の出番はない。
この二つの記憶、両立しない記憶なのだが、父親の転勤であちこち引っ越したことを考えると、どちらの記憶もあっておかしくない。
冒頭に書いたいつも見ているブログのコメント欄に「あまり家の手伝いはしなかったようですね」と書こうと思ったが「サイフォン現象を知らなかった即家の手伝いをしなかった」というのはちょっと飛躍だろうと思い、書くのは思い止まった。