歌詞「石のたたみを歩いたときも」から藤圭子へ

石のたたみを歩いたときも ふたつの肩がはなれない

長崎ブルースの三番の一節です。長崎でオランダ坂を登り降りしたが、肩を離さずに歩くのが至難の業、というほどは、でこぼこはしていなかった。もっとでこぼこの石畳の坂があるのかもしれないが。そもそもわたしが前提としている「でこぼこ道だから普通なら並んで歩いていても肩が離れてしまうはずなのに、ふたりの愛の力で離れない」という解釈が正しいのかどうか。「石のたたみ」に何か意味が、例えば「針のむしろ」のように、含まれているのを、わたしが知らないだけなのか。わたしの解釈だと「も」は「でも」の意で使われているが、ひょっとしてこの「も」は「でも」ではなく並列か。「部屋の中でも、外の道でも、ふたつの肩が離れない」。動画で青江美奈の長崎ブルースを聴いた。藤圭子のものもあった。藤圭子に今さらながら魅せられれた。歌いながら視線が泳ぐところや、笑みを含んだ眼差し。生で歌を聴いてみたかった、ともう遅いけれど思った。