『三の隣は五号室』 長嶋有

一見無関係に存在する何かと何かに、ブラウン神父的意外性をもった因果関係があった、という話ではない。また、何かから何かが、風が吹けば桶屋が儲かる的因果関係により発生した、という話でもない。アパートの同じ部屋(五号室)に五十年の間に住んだ十三人とその周りの人間の話だ。同じ部屋に住むわけだから、部屋そのものと前の住人が残した痕跡のようなもので十三人が繋がるといえば繋がるのだが、そういう繋がりを強調しているわけでもない。にもかかわらず読後には《無関係に存在する人間の集合で宇宙ができている》ということを思わされた、ような気がする。
理由は小説の構成にもあると思う。歴代住人のことを住んだ時間の順序に従って書いていない。あの住人、この住人と行ったり来たりする。一枚の絵を端から順番に描いていくのではなく、あっちを描きこっちを描きして、最後に、像を結んだと思わせる、という喩えほど単純なものではないにしろ、そのようなことを意図したのではないか。でも最後に結んだ像は一瞬のもので、そういえばさっき宇宙の真理のようなものが頭をよぎったがはてどんなものだったのだろう、と思い出そうとしても思い出せない種類のものではないかと思う。
出だしは「変な間取り」に記述が費やされるが、この本を読むきっかけになった書評の「間取り好きには堪えられない」は、間取り好きでもないわたしだからかもしれないが、首が傾がった。変な間取りかもしれないが、ひとつの間取りしか出てこないのだから。間取り好きは、とっかえひっかえ、いろんな間取りが登場した方が喜ぶのではないか。アパートの間取り図は最初の方に掲載されていたが、住人の方については住んだ順番に表になっていない。そういう表にしてしまうことは作者の意図に添わないものだからだろうと、読了後に思った。あえて下記に作ってみた。

1966から1970 藤岡一平
1970から1982 二瓶敏夫、文子夫妻ーー>息子 環太
1982から1983 三輪密人
1983から1984 四元志郎
1984から1985 五十嵐五郎
1985から1988 六原睦郎、豊子夫妻
1988から1991 七瀬奈々
1991から1995 八尾リエ
1995から1999 九重久美子
1999から2003 十畑保
2004から2008 霜月未苗、同居人桃子
2009から2012 アリー・ダヴァーズダ
2012から2016 諸木十三

これを見れば十二番目の住人の名前に「12」を表す何かが含まれているはず。調べてみた。書こうか書くまいか、思案するほど捻ったものではなく、ずばりそのものなので書いてしまいますが、「ダヴァーズダ」はペルシャ語で「12」だそうです。