華厳の滝と日光いろは坂

華厳の滝からの帰りのバスの窓から見下ろした第一いろは坂−−車は第二いろは坂を登り、第一いろは坂を下る−−は急だった。狭い幅で斜面を折り返しており、木の葉がない枝の間から、いくつもの折り返しが見えた。バスが落ちないことを願った。地図で見ると「羊腸」のように曲がりくねっている。登り下りが別の道を走ることを知らなかったので、華厳の滝が案外短時間で観終わったので、帰りに明智平に寄ろうと思ったが寄れなかった、という事件はあった。
藤村操は華厳の滝までどうやって行ったのだろうか。やはり歩いたのだろう。車はまだだろうし、駕籠でもあったのだろうか。背負って登る商売の人がいたのだろうか。やはり歩いたのだろう。滝に飛び込むために急な坂道を息をきらせながら長い時間をかけて登ったのだろうか。死ぬ気で家を出たのだろうが、華厳の滝を死に場所と決めたのは滝を見てからではないだろうか。