詩と散文

昨日、歩くコースの説明に、裸の体の背面を使った。そのことから、裸の体の前面と背面の違いが、サルトルの言っている詩と散文の違いに当てはまるのではないかと思った。

裸の体を「言葉」として、体の前面は、動かなくてもそれだけで何かの表現になる。詩だ。背面は、捻ったり曲げたり、いろんな動作をして初めて何かを表現できる。散文だ。

サルトルに、この譬えを話してみたい。