萱崖とは何か考えた その二

「萱崖とは何か考えた その一」の続きです。

萱崖(かやがけ)は 母のむねにも似たるかな たかきをわすれ ただぬくもれり

もう一度この歌を読んでみました。「たかきをわすれ」という言葉がありました。「なだらかに隆起した丘にすすきが満ちているのを見て乳房を思い浮かべた」というのは、ありそうですが、それでは「たかきをわすれ」が入ってくる余地がない。「萱崖とは何か考えた その一」の最後に書いたように語呂が良いから「崖」を使ったというのは「たかきをわすれ」で否定されそう。
実際に切り立った「崖」はあった。崖の上から下を見たのか、崖を見上げたのか分かりませんが、英治の視界には「崖」はあった。
千石原へ行った人であれば、あれこれ考えるまでもないのかもしれない。