「たで」が「あかまんま」だったとは知らざりき

散歩でときどき会う女の人−−あるときは40代に見え、あるときは60代に見えるが、猫に似ているのだけは変わらない−−が路肩をじっと見て「この花の名前がわからないんですよ」と、葉っぱがぎざぎざの花を指して言う。「○○か××かどちらかだと思うんですが。家にはこんな薄い図鑑しかないから、分らないんですよ」と、手を図鑑の厚さにして嘆く。そのとき、手を立てて幅を表すのではなく、水平にして幅を表したことを、今思いだしたのだが、そのときの指先が同じ方向を向いていたのか、互い違いだったのかは思い出せない。その嘆き方は、私は名前がわからなくても気にしないから、思わず「花や植物は、見て楽しめばいいんじゃないですかね」と喉まで出た言葉を、飲み込ませるだけの切なさを含んでいる嘆き方だった。
少し離れたところにある赤い小さな粒粒が集まった花を指して−−名前が分っているからだろうと思うが−−元気よく「これはタデですね」と言い、「そう蓼食う虫も好き好きのタデですよ」と言う。それはままごと遊びで使った「赤まんま」だった。「蓼食う虫も好き好き」の「タデ」が植物であることは知っていたが−−いつ頃かまでは「田で食う虫」と思っていたようにも思う−−その「蓼」が「赤まんま」だったことはこのとき知った。