『エーコの文学講義』小説の森散策 ウンベルト・エーコ

副題に「小説の森散策」とあります。これの意味ですが「小説一つを一本の木になぞらえて、それがたくさん集まって森になり、そこを散策する」という意味に、まず考えられるかと思いますが、中身からいうと「一つの小説を森と考えてその中を散策する」という意味がふさわしいと思いました。小説は読者がそこを自分の足で歩く森のようなもので、観光バスの窓から窓越しに眺める景色のように、見る側の意思とは関係なく流れていくものではない、そんな風に思いました。

モデル読者と経験的読者

経験的読者とは、テクストを読んでいるときのわたしたちであり、わたしやあなたがたのことであり、つまり誰もが経験的読者なのです。

たとえば皆さんがふかい哀しみにとらわれているさなかに滑稽な映画を見る羽目になったとしましょう。なかなか愉しむことなどできないのはお分かりでしょう。それどころか、数年経って、もう一度同じ映画に出会うことになったときも、相変わらず微笑むことさえできないかもしれません。それはイメージの一つひとつが、最初に経験したときの哀しみを思い出させるからです。このときみなさんはあきらかに経験的観客として、その作品を間違った方法で「読んでいる」わけです。ですがいったいなにと比べて「間違っている」のでしょうか? 監督が思い描いていた観客のタイプ、つまり気持ちよく微笑んだり直接には自分を巻きこむことのない話を追いかける準備のできている観客と比べてなのです。このタイプの観客(書物なら読者)を、私はモデル読者とよんでいます。