『太宰治賞2013』筑摩書房 その1

収録作品は
さようなら、オレンジ」KSイワキ、「背中に乗りな」晴名泉、「人生のはじまり、退屈な日々」佐々木基成、「矩形の青」水槻真希子
さようなら、オレンジ』の予約待ちの行列が長いので、こちらを借りた。選評から読み始めて、次に「さようなら、オレンジ」を読んだ段階。
選評の中で荒川洋治の「人生のはじまり、退屈な日々」についての評の次の部分が気になった。

(前略)現実描写に「粗密」があり、こちらはなんの話しであるのかつかめないままに読んでいくことに。暴力的な場面もどういう現実とかかわるのか、ぼくにはわからないままだった。ただ主人公をはじめとする人たちがそれぞれの「退屈」さに囚われつつ、それと戦っている気分は伝わる。現代の状況の一面が露出しているともいえる。それがこの作品のよさである。
 別の面でも惹かれるものを感じた。現実的な設定が十分になされていないものは、どのように趣向を凝らしても、最終的にリアルなものにならないことを教わったのだ。日時、場所など、現実との照合を欠いたところからは「現代小説」も「歴史小説」も不可能なのだということがたしかめられたのだ。それがこの作品から教わることだ。ほどよく整えられた他の三編とは異なるものを感じる。

「別の面でも惹かれる」は褒め言葉なのだろうか。褒め言葉だと考えると、「人生のはじまり、退屈な日々」の「現代小説」でも「歴史小説」でもないところを評価していることになる。そう考えると「ほどよく整えられた他の三編」という、単純な褒め言葉だとは感じられない表現「ほどよく」とつじつまがあう。受賞作としては「さようなら、オレンジ」で異存はないが、小説の未来は「人生のはじまり、退屈な日々」の方にある、というのが荒川洋治の考えなのだろうか。
まったく逆にも考えられる。「惹かれる」は「教えられるところが多くて惹かれた」という意味で、「現代小説」でも「歴史小説」でもないこの小説は評価できない。「ほどよく」は素直に褒め言葉である。こんな風にも考えられる。
果たしてどちらなのだろうか。