『ある島の可能性』 ミシェル・ウエルベック

2005年の作品。作者は1958年生まれ。ということは彼も「ぞろ目会」の会員だ。マリオ=バルガス・リョサもそうだ。これからの会の中核はウエルベックの世代だろう。体に故障が起きれば気が滅入るかもしれないが気力旺盛で。

体毛が薄く、虚弱で、血行の悪かった人間の肌は、愛撫の欠如におそろしく敏感だった。ネオ・ヒューマンは、その初期の世代の段階で、皮下毛細血管の血行を良くし、L型神経繊維の感度を若干落としたことで、接触の欠如にまつわる苦痛の軽減に成功した。それでも僕は、フォックスの毛並みに手を滑らせることなく、そのかわいらしい小さな体の温もりを感じることなく一日を過ごせそうもない。僕の体力は衰えつつあるのに、そうした欲求は、それとともに減少はしない。それどころか強くなっているように感じる。遊ぼうとねだらなくなり、僕にぎゅっと体を押し付け、僕の膝に頭を載せる。僕らは一晩中その姿勢でいる−−愛する者のそばで眠ることほど、心地よいものはない。

布団の中でひ孫一が私の片方の腕の二の腕のぷよぷよしているところを両手で掴んでいるうちに眠ってしまう。掴んでいる手を外して、私は、二人の上に掛かっている毛布と掛布団二枚のうち毛布と掛布団一枚の外に出て、その二枚は敷布団のところまで下ろしひ孫一を包むようにする。部屋には暖房がないから室温でも五度かそれ以下になる。一番上の掛布団が二人の上に掛かる。私は横向きになって、敷布団の端で落っこちそうになりながら、ひ孫一に掛かっている布団にくっついて眠る。
そんな経験から、上の引用部分に付け足したいことは

〈愛する者の寝心地が良いように、自分が無理な姿勢をとっていれば、なおさら心地よい。〉

でも半睡のうちはいいのですが、眠ってしまうと、一番上の一枚は私の方の引っ張ってしまっています。隣にもう一組布団を敷いて、ひ孫一が寝込んだら私はそちらに移るようにしています。

2014年3月2日