「言葉・青菜に塩」の誕生について考えた

白菜の塩漬けを作った。中くらいの大きさのレジ袋に葉っぱーー十枚ほどだったかーーを切って入れて、ほぼ一杯になりましたが、そこに塩を入れ、酢も少々加えて、レジ袋の取っ手の部分を使ってぎりぎりと縛り、水が出て来るから、その袋をタッパーに入れて冷蔵庫にしまった。キャベツで、この方法を教えて貰って、キャベツでは何回か作っている。漬かれば量が減るとは思っていたが、白菜の減り方はキャベツより大幅だった。大幅に減った。「青菜に塩」という言葉が頭に浮かんだ。そこで考えたが、もし「青菜に塩」が「漬物を作る過程」で思いつかれた言葉だとすると、思いついた人は漬物を漬ける人、あるいはそういう作業を見たことのある人、ということになる。範囲は限定されてくる。「青菜に塩」と聞いてピンと来る人が少ないとなると、一般化しないのではないだろうか。料理や台所から生まれた言葉が広く広まった、というのは痛快ではあるけれど。

ネットで探したが、「青菜に塩」がどういうところから生まれたのか、は見つからなかった。わたしの解釈はーーオリジナルとは断言できないが--次のとおり。

昔のある時代には、青菜が良く食卓にのぼる食べ物だった。食卓には青菜がそのままでてきて、食べるときに塩を振りかけて食べる食べ方が一般的だったーー塩をこんなに贅沢に使うはずはないな、とこれを書きながら思うけれど、乗りかかった船、ということで続けますーーので、青菜が塩を振られたとたんにみるみる萎んでいく姿は、食卓で日常的に見られる光景だった。とうことで「青菜に塩」と聞くと、あーそうそう、分る分る、ということで広まったのではないだろうか。