小説の中の会話の文

小説の中の会話の文について考えてみました。

小説の中の会話文は<文字で書かれていて読まれる>ものです。本のページから声が出せないからしかたなく文字で、ということではない。<文字で書かれていて読まれる>ことが本来的な性質です。だから、話し言葉に近いもので書いた方がよいということは言えるかもしれませんが、耳から聞こえるように書く必要はありません。もし、なるべく耳から聞こえるように書くべきだというなら、漢字を使うべきではないということになります。
逆に<文字で読まれる>性質を積極的に利用すべきです。カッコなどの記号も有効に使った方がよい。二人の会話の中でひとりは「妓夫太郎」と言い、もうひとりの方のには「牛太郎」と言わせるというような技法も使った方が良い(ただ、この例では「牛太郎」も使われていたようなので、例えば「灸太郎」くらいの方が効果はあったようにも思ったが)。
会話文の長さも、あまり長いと読み手がこれは誰かがしゃべっているんだ、ということを忘れてしまう恐れがあるにしろ、現実の会話での長さには拘らなくてもよい。

こんなことを考えた。

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