続き、『文芸漫談 笑う文学入門』 いとうせいこう×奥泉光+渡部直己

引用に間違いがありました。下から3行目に「その仕方なり個性がある」とありましたが、「その仕方に個性がある」が正しいです。訂正しました。

前の記事の引用に続く部分です。

奥泉  そうですね。どんどん影響を受けるから、どんどん直したくなるんですよね。「読む作業」と「直す作業」と「先を書いていく作業」、この三つを並行して行うのが、「小説を書く」作業の内容ですね。
いとう 読むことの延長であるかのように書くとか、書くことの延長であるかのように読む、それが作家の生活だ、と。
奥泉  恰好よく言えばそうです。言葉は自分の外側にあるんですね。だから、人間の能力のなかでなにがいちばん小説を書かせるかといえば……。
いとう お、「実践篇」の第二段階にきましたね(笑い)。
奥泉  いちばんたいせつなのは記憶力だと、ぼくは思います。「言葉を覚えている」ということ。だって覚えているから書けるわけでしょ?
いとう うん
奥泉
  われわれは、過去に読んで記憶している字や言葉でしか書けない。その記憶の容量が大きければ大きいほど、たくさんの言葉を知っていれば知っているほど、豊かなものが書ける−−原理的にはそう言えると思います。
いとう 引用の集積であるということですね。
奥泉  「言葉は自分のなかから出てくる」わけではない。「物財」として世界に散らばっている言葉をたえず寄せあつめる、それが小説を書くことの基本だと、ぼくは考えますね。
(中略)
奥泉  言葉はとても他人行儀なもの、と言いますか、不自由なものです。たとえばここに椅子がある。世の中にはいろんな椅子があるのに、とりあえずこれは「椅子」としか呼べない。言葉は雑駁であり粗雑なものなんですよ。それを寄せあつめ寄せあつめすることで、何とか表現の世界をつくっていくのが「小説を書くことだ」−−これをいつも肝に銘じておかないと、すぐ忘れちゃうんですよね。
いとう うんうん。
(中略)
奥泉  フレーズは「自分の発明」じゃなくて、どこかで聞いたり読んだりしたものが記憶されて、それが出てきているわけです。だから、言葉は基本的に陳腐なんです。
(中略)
奥泉  「すでにある物語やスタイルのなかで言葉を集めて組織する」、その仕方に個性がある、としか言いようがないですね。理想的なのは、そうしてできあがった作品が新しいスタイルをつくっていくことでしょう。