『詩という仕事について』 J.L.ボルヘス

「2隠喩」より。

さて、われわれはようやく、この講義の二つの主要な、しかも明白な結論に達しました。その第一は、言うまでもなく、数百の、いや数千の隠喩が見いだされるけれども、その一切は少数の単純なパターンに帰着させることができるだろう、ということ。しかし、この点についてはあまり思いわずらう必要はありません。すべての隠喩がそれぞれ異なっていつからです。パターンが用いられるその度ごとに、異なる変種が生まれるからです。そして第二の結論ですが、これは、例えば web of menや whale road などのような、明確なパターンに帰着させられない隠喩が存在する、ということです。
 したがって、前途は−−この講義のあとでさえ−−隠喩にとって実に洋々たるものがあると私は考えます。その気になれば、われわれは主要なものについて、新しい変種を試みることが可能だからです。それらの変種は非常に美しいものであり得るわけで、わざわざ次のようなことを言うのは、私のようなごく少数の批評家たちだけでしょう。「やれやれ、またしても目と星、時と河の流れか」−−。隠喩は想像力を刺激するでしょう。しかし、広く受け入れられたパターンに属していない、さしあたり属していない隠喩を創造することは、われわれにも許されているはずです。そのことを期待していけない理由が、果たしてあるでしょうか?

web of men 人間どもの織物 アイルランドの戦いに関する隠喩

whale road 鯨の道 アングロサクソンの時代の海の隠喩

追記

冷汗。「詩」が「誌」になっていました。