サルトル『文学とは何か』の細部に疑問を呈す
内容を読んでも怒らないで下さい。
「三 誰のために書くか」に次の記述があります。
敗戦後一年半の当時には、この小説は、まだまだ生々として、力強く、有効であった。半世紀経てばもはやそれは誰の心をも動かさないであろう。事情に通じない読者は、1939年の戦争についてのいくらか退屈なおもしろい物語としてその小説をまだ読むかもしれない。バナナはつみとったばかりの時に味がよいらしい。同じように精神の作品もその場所で消費されなければならない。
バナナは採ってからしばらく置いた方が甘くなるのではなかったでしょうか。でも、木に生っているのを食べ頃に採って食べれば、それが一番美味しいのかもしれませんが。
なお、上の訳は、
同じ箇所はサルトル全集第九巻では
バナナはつみとったばかりの時に味がよいだろう。
「らしい」と「だろう」。同じような違うような。