裸足の意味、裸の効用

散歩のコースの舗装してある農道を、裸足で走る人がいる。何回か会っていて今朝も会った。足の裏に刺激を与えると健康によいということで裸足で走っているのだろうと思っていた。フォームは少し変わっている。足を蹴らない。体はほぼ直立。「壊れ易い物の上をそおっと走る」という感じだ。舗装してあるし、石ころ、ガラスといったものも落ちていない。足の裏に刺激を与えるのがよいのなら、もう少し普通に走ってもよいのにと思う、そんな走り方だ。そこで今朝思ったのだが、膝か腰か、体のどこかに衝撃を与えてはいけない部位があり、それでそおっと走る必要があり、そのための裸足なのではないか、足の裏をどうこうではなく静かに走らざるを得なくするための裸足なのではないかと。
裸足なので地面に静かに触れる、結果として体に衝撃がないというのが、今朝私の考えた《裸足の意味》ですが、裸足なので地面に静かに触れるというところを取り出して裸足を裸に変えると、裸なので外界に静かに触れるということもいえるかもしれない。結果として「他者に優しく接することができるようになる」、とそういうことではない(この論法は保坂和志が『小説の自由』の中で盛んに使っていて、私は読んでいてイライラしました、ちょっと使ってみました)。
裸で暮らすと家が傷まない、そういうことです。