長い話

姉の入院見舞いの帰りにI市内の高速バスターミンナルへ向かって歩いていたとき、N屋酒店があるのを見つけた。この屋号の酒屋は、私が小学校高学年の時に住んでいたT町−−I市より電車で30分ほど北−−にもあって、そこの娘は私の同級生で「N屋」と呼ばれていた。8歳上の姉はT町に移ったときはS市−−T市より電車で20分ほど北−−の高校2年生だったことになるが、家から通学していたからT町にN屋酒店があったのは知っていたと思う。姉はK市−−I市より電車で30分ほど南−−に長いこと住み続けていて、子供は三人ともそこからI市の高校に通っていたからI市へ行く機会は多かっただろうからN屋酒店の看板を見たのではないかと思うが、私に「T町のN屋酒店と同じ屋号の酒屋がI市にもあるよ」という話をしたことは無かった。交流のない年月があったから、折りがあったら話そうと思っていたことも、その間に忘れてしまっても無理はないが。
T町のN屋酒店には、お使いに行った。当時はどこもそうだったと思うが、酒の量り売りをしていて店内で立ち飲みした。だから酒の浸みた木製のカウンターから発生する酒の臭いが店に入るとプンと臭ったけれど覚えていませんか。醤油の臭いも混じっていたかもしれない。年頃だった姉は酒屋へのお使いなどはあまり行かなかったのかな。高校のあるS市が興味の中心だったのですか。名門の共学の高校だった。随分もてたでしょう。どうでした。それにしても一度目の結婚は拙速ではなかったですか。長続きしませんでしたよね。
一度は通り過ぎたI市のN屋酒店だったが、姉に話すにしてももう一歩突っ込んだ話にしたいと、戻って店の奥に声を掛けた。八十くらいのお婆さんが出てきてこれは好都合とT町のN屋酒店のことを聞いてみたところ、兄だったかそんな親戚がやっていた店だったそうで、もう商売はしていないんですとのことで、同級生の由美ちゃんの消息はわからなかった。このくらいで十分だろうと思った。この話は私の女の同級生が居たというところに焦点を当てないようにしよう。姉の高校生活がどうだったかそんな方向への話の種にしよう。それが大人の話だろう。読めば長いのかもしれないが、話せば姉がクリアーアサヒを一本飲む前に終わるだろう。退院まで待たなくても次の見舞いのときに話そうと思った。
見舞いの日が10月5日で、それから一週間後の10月12日に姉は急に退院したのだが、病院を出て行った先があの世では、せっかく用意した話を聞いて貰えない。残念だ。