押しつけられると、ついつい反発してしまいます

歩くコースの途中に交通標語の看板があります。人と自転車だけが通れる抜け道の出口に立っています。その標語がずっと気になっていました。今の場所に住むようになってすぐに気が付いたと思いますから、三十年くらい前から立っていたと思います。
内容は「自転車も止まれ 止まったら左足をつけよう」です。見る度に「右足ではだめなんですか」とか「つく方の足まで指定するとは、余計なお世話では」とか「利き足によるのでは」というような反問を浮かべながら通り過ぎていました。
その看板が新しくなりました。新しい看板でもそのまま「左足をつけよう」でした。そのまま踏襲されたことに驚きました。そこで考えました。これは、作者の名前は書いてありませんが、交通標語コンクールでの入選作なのでしょう。それでオリジナルを残したのでしょうと。

それはそれとして《つく足を指定する》ことは良いかどうかです。「つく方の足も含めて習慣化しよう」というのが指定する根拠かと思います。しかし、自転車で止まるときにどちらの足をつくかはそれぞれの人で、おのずと決まってくるかと思います。そしてそれは左足の人も右足の人もいるわけです。各人が突き易い方の足をその場の状況に応じて突けば良いわけで、左足と指定することは却って混乱の元ではないかと思います。

しかし、書いていて思いついたのですが、道路の左端を通っている自転車で右足を突くと体が右に傾くので危険なので、利き足によらず左足を突くのが理に適っているのかもしれません。ひょっとすると、標語だから《左足》が残ったのではなく、《左足を突く》ことが自転車の安全運転上の常識なのかもしれません。なお標語の「つけよう」は「着けよう」だと思いますが。