萱崖とは何か考えた 歌の解釈変更

萱崖(かやがけ)は 母のむねにも似たるかな たかきをわすれ ただぬくもれり

前の記事に歌の解釈を書きましたが、ちょっとしっくりこない。
こんな解釈が、私としては一番釈然とするように思う。

少年時代の思い出を詠んだもの。作者が少年時代に慣れ親しんだ家の裏には崖があって、崖の斜面にはぎっしり萱が生えていた。遊びに行くのに(多分印旛沼へ)その崖を降り帰りには登り、あるいは崖そのもので遊んだ。丈の高いものなので、立てば顔が出るが、しゃがめば周囲はその植物ですっぽり囲まれてしまう。崖の登り降りに疲れたり、足を滑らせて怖くなったりしたとき、しゃがみさえれば、自分が崖の中腹にいることも忘れてほっとできる。母の胸にいるような安心感を感じる。
箱根ですすきを見て、こんなことを思い出した。

箱根で詠んだにしろ、吉川英治の頭にあったのは江原台である。と私は思う。