「違和感」という言葉

今まで「違和感という感覚は大切」だと思ってきた。例えば「見慣れた景色に感じた違和感で地すべりを予測できた」というような場面を思っていた。自然現象や科学の分野では違和感は大事にした方がよい場合が多いように思う。今までは、ここまでだったが、最近電車の中で週刊誌の中吊り広告の「違和感」という言葉を見て、次のようなことを考えた。
例えば、葬儀を出したばかりの家で、どんちゃん騒ぎの大宴会をしていたら、変だなと思う。こういうときにも「違和感」という言葉が使われるが、こういう「違和感」は無視すべき場合が多いのではないかと思う。「違和感」を根拠に非難することも間違っていると思う。
誰か他の人の行動について感じる違和感は、元になるのは感じる側の持っている常識とか、感じる側が考える社会通念のようなものだから、感じたとしても、それを以って非難したり吹聴するのは間違っているのではないか、とそう感じた。そう考えると「違和感」というのは「偏見」と極めて近いともいえる。
感覚的な表現をすると「あれを見て以来、私の中で〈違和感〉という言葉が薄汚れてしまった」。