『太宰治賞2013』筑摩書房 終わり

全作品を読みました。どれも良かった。
選考委員を書き洩れていたので書きます。加藤典洋荒川洋治小川洋子三浦しをん。選評は下記で読めます。
http://www.chikumashobo.co.jp/blog/dazai/

さようなら、オレンジ」の構造について。選評を読んでその構造を知った上での感想だが、三浦しをんのいう程、裏切られたような感じはしなかった。「小説の中の人物」と「小説の中に書かれた小説の中の人物」とに、それほどの違いがあるのだろうか。「小説の中の人物」に対して、現実にそこに生きている人のように読む場合でも、頭の片隅には小説内の人物であるという意識は置いてあるのではないだろうか。
私が奇異に感じたのは、途中に入る幼い娘の死を知らせる英文メールが、その様式からみて「一斉送信」であるらしかった点。内容のウエットさと手法のドライさの差が大きすぎるように感じた。印刷した喪中はがきと同じと考えればいのかもしれないが。
「背中に乗りな」。「ちょっと外した可笑し味」がかなり出てくるが、それが鼻に付く手前の量で良かった。二人の生活に「性の香り」が皆無なところも、中途半端に入れるより、なしでよいと思った。
「人生のはじまり、退屈な日々」。三浦しをんが、この設定でだめではないがこの設定でなくてもよいのでは、と書いていたがそうかもしれない。先生と生徒の信頼関係がある、という根底の気持ちは覗えた。
「矩形の青」。各章の最初の一文が「こういうのが小説の出だしです」という、古色蒼然の「雪国的出だし」であるところが、好きではなかった。

荒川洋治の選評の解釈についてまよった点。後者ですね。でも「異なったものを感じた」も決して否定する趣旨ではないだろう。「ほどよく」を皮肉と考えてしまったのは、私の僻目でした。素直に「ほどよく」と読むべきでした。荒川洋治の選評の冒頭に

四編とも、特色と密度をそなえた作品だ。以下、ぼくが感じたこと、選考をとおして学んだことを記しておく。

「学んだことを書く」という姿勢での書き方なのだろう。